土岐川・庄内川交流コーナー

41 岩塚の2大施設  中電の岩塚変電所と水道局の岩塚下水処理場は、共に戦時中に計画されたもので大きな敷地が確保され、今の時代に十分機能できる能力をもっている事がすごい。  特に処理場は名駅周辺露橋処理場が工事休止中応援をかけていたわけで大したものだ。今は余裕がある分、運河の笈瀬川の分を処理するといいと思う。 42 津島神社...
39 カワラマツバ  植物愛好家の多くも気付いてないこの種が、【万場大橋】北西橋詰めのアンダーパス周辺に群生している。  背丈が低くて花が小さく目立たないし、枝葉も松の名の如くあっさりしてるためか、また、似ているのがカワラナデシコで清楚な姿に花が付くからか、ともかく土手に生える植物のためかあまり知られてない。  私は見守っている。 40...

36 松栄軒  橋【35万場大橋】のたもとには大きな釣具屋、兼釣餌屋があり、四季それぞれに合せた餌を用意してくれたし、釣情報は新聞より早く詳しかったりで客が絶える事がなかった。  時には店主自ら餌取りしてたので新鮮だったし、穴場もついて行って何箇所かを覚えた(新川が本拠)。...
34 【庄内川】第1出張所  この地【33七所社(万場大橋左岸上流)】より下流500m程の所に事務所があり機材が保管されている。この自動車時代にしては駐車場があまり広くない。  本川が大きくSカーブする所で水当りになるが、流れの直撃には当ってないようだ。また、大正橋地区に比べたら水路幅(澪筋)も小さいので破堤の心配はしていない。...

32-1 岩塚石橋  佐屋街道に石橋があったかどうかは知らないが、稲葉地用水(庄内用水)がここで稲葉地井筋と分離していて、水量制御用の大きな水門が 石造りの基礎の上に乗っていたのは覚えてる。...
32 万場橋・岩塚町  ここは庄内川の川止め時等の宿場があり古くから栄 えていた(対岸万場町も)道は佐屋街道で船旅をきらう人(松尾芭蕉・明治天皇さんらもそうだった様)は、熱田宿・古渡・岩塚・神守・津島・佐屋・弥冨・桑名約32kmの陸路(潮流を利用し、大船使用で船賃が安いため、佐屋から渡し船を使うこともあったと聞く)を使った。...

29 大治町南部  砂子地区は、昔東海道七里の船旅をきらう人が津島神社お参りをかねて、ここ佐屋街道を使い木曽川の佐屋へ向ってた。新川の砂子橋もどうした事かパットしないし、自動車学校周辺の区画整理が大そう遅れている。明治期のままの村落の様子が残っていて四輪車ではとても入れない。  三本木は私の自然観察...
26 名鉄バス津島線【県道68号名古屋津島線(新大正橋)】  この道は名古屋市の幹線広小路線の延長で東山・栄・名駅、中村・大治、七宝、津島と一直線にあり、大治に名古屋市の西部浄水場(日量50万トン)がある。  以前から市バスが郊外乗り入れしているが、名鉄バスのドル箱路線であり、名古屋市バスの幹線に負けていない。 27 水道橋【大治水管橋】...

23 名鉄津島線  ここ豊公橋の通りは東は名城の南外堀通りに、西は甚目寺・七宝・須ヶ口で清須・稲沢とつながり西に進んで津島に入る。昔から尾張国の主要幹線で今も多くの人と物が行き交っている。...
20 藤吉郎の湯  入った事ないので良くは知らないが、藤吉郎は秀吉の(若年時代の名)バブル時代の温泉ブームに乗って作られ名古屋市内の勤め人が帰宅時によく使ってた。  ここ豊公橋をはじめ、市西部には地名・通り名・橋名等色々な所で戦国武将名をつけた所が多いのは仕方ないか、...

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