庄内川下流部のビューポイント?(9):石黒・田中

26 名鉄バス津島線【県道68号名古屋津島線(新大正橋)】

 この道は名古屋市の幹線広小路線の延長で東山・栄・名駅、中村・大治、七宝、津島と一直線にあり、大治に名古屋市の西部浄水場(日量50万トン)がある。

 以前から市バスが郊外乗り入れしているが、名鉄バスのドル箱路線であり、名古屋市バスの幹線に負けていない。

 

27 水道橋【大治水管橋】

 八屋地区に太くて赤いパイプが2本並行して通っている、水管橋と呼ばれ上水が中村の円形配水塔につながってる。この建物は昭和40~50年代まで市西部(JR東海道以西) のどこからでも見え、豊国神社の赤鳥居、笹島貨物駅国鉄名古屋機関区の照明灯の3点を私ら悪ガキは羅針盤代わりに使っていた。方向と時間とを見計ってきて遠くまで遊びに出て大人を心配させていた(小3~4年)。

 話戻って水管橋の橋脚全体を強化・改修してここに浮遊ゴミキャッチャーを設置している。ポイントはマグネットを利用過負荷になると自動開放できることで、通常は小型でゴミ回収し、民家のない農地側で水分を切って近くの五条焼却場に入れる。

 

 

28 大正橋緑地

 米野小4年の遠足でここ迄往復歩き、しかもふるっているのが、全員手ぬぐい半折れのひも付き小袋でおにぎり持参、ここで昼食、空袋に川砂を3~5kg入れて学校まで持ち帰り、高鉄棒下の砂場に投入した事がある。この時ここの水際の砂は白くきれいと知って夏休みに再訪、ぬれた体を砂にまぶし、払うと雲母が体につき黄金バット遊びをした。

 東海豪雨の後、一色~豊公橋にかけ、大量の河川砂が瀬戸、多治見方面から流下・堆積して河川敷に生息するベンケイガニの巣穴を埋めつくした事でベンケイガニがるいるいと死んでたのを見て集団自決と言った事がある。

 その白砂をめぐっては当時の中村土木の所長クラスが祖父江町出身と知り、祖父江砂丘に提供したら遠くまで運ばなくてもよいと進言したが、定年間近の人への声かけは誤りだった。ラグビー・サッカー場はシーズンしか使わないので中央に大穴を堀って、そこに白砂を入れビニールシートでおおい必要に応じて白砂広場にして芸術祭開催も提言したがダメだった。