庄内川下流部のビューポイント?(8):石黒・田中

23 名鉄津島線

 ここ豊公橋の通りは東は名城の南外堀通りに、西は甚目寺・七宝・須ヶ口で清須・稲沢とつながり西に進んで津島に入る。昔から尾張国の主要幹線で今も多くの人と物が行き交っている。

 七宝町(村)は武将前田利家の妻お松さんの生誕地。この辺りから小船に乗って荒子村の前田家に嫁入りしたと伝えられてる。名鉄線はこの道に沿って織田家ゆかりの平和町から津島市に入る。

24 大正橋

 ここも話題は多くある所で、下流の万場橋と先の豊公橋との間につくられた橋で、一寸時代が新しくなり、私は鉄コンクリート製の姿を覚えているが、少々以前に建て替えられた。

 その時発見され、今も右岸側橋下に保存展示されてるのが、鉄材の代用に竹を使った竹筋コンクリート製の橋脚の一部である。今では中国や東南アジアでは、この造りが西洋建築に使われる鉄筋にとって代ってると職人さんに聞く。橋がいつ作られたか知らないが要は鉄材やセメント不足だった時代だったと思う。

 

25 八屋地区

 大正橋下にある昔から新川と庄内川にはさまれた水害常習地で地盤も低いが豊かな農地が広がる地区で栄えてきた。ここは、住宅のカサ上げに丸石や常滑焼の焼酎ビン不良品を擁壁に積み上げて造られてるこの辺に珍しい独特の景観が残っている。

 また、農業中心の新開地であり、河川堤にくっつきながらの住居がまえも生活と密着、自然環境を活したつくりになっていて勉強になる。

 通学路で変っているのは、不要になった小田井用水路を利用、バス路線の旧道と立体交差している道路の下を黄色帽子が集団で通っている。