庄内川下流部のビューポイント?(4):石黒・田中

11 現鉄橋【東海道線枇杷島橋梁】下

 昔の道路か用水路跡か水位が下るときれいに並んだ太い棒杭が現われる、もしかして工事用に打った物が埋め殺しされたのか? ここの川底高さから新幹線下の床止め迄の落差を今一度調べて現在の資材と工法を使うなら、橋脚数をへらして架橋出来ると思う。現存の 床止めは新幹線下の汐止めのせき兼用1ヶ所のみで十分になるよう。

 

12 ナカモ味噌

 ここは古く明治時代にはあったようで親父の友人らが働いてたようだ。親父が言うには、この周辺や高水敷内ではまともに商品になる品物は出来なく、米麦・豆共に等外の物を集め発酵させる事で食用化された。家畜の餌用にするには、当時食の西洋化は今程進んでおらずニワトリ【の餌】で済んだ。

 

13 旧名岐国道【枇杷島橋】

 私の覚えではオートバイ全盛時代に西枇杷島駅直近に側道と中央道を高架で四輪車専用とした。当時単車に乗っていて踏切待ちに合うと腹立しかった。上流に道巾を広げでバイパスが出来今はさびれているが、当時は名岐国道22号で一宮・笠松・羽島・岐阜・大垣へと車が 集中する中で名古屋から渡河してすぐ堤防道を左折するとこれが美濃路と呼ばれる街道で鎌倉街道にならってて稲沢・起・羽島・大垣・京へと近道になっていた。途中清須城下もあり、生活資材の集積場(問屋場)もある。そんな古くにぎわった町故か、出車倉が犬山線踏切り脇にあり、今も川開きの祭には花火が上がる。